TTT『戸惑いの惑星』 長谷川は救われたのか

前回の予告を変更して、お送りします。

TTTレポの続きです。今回は感情の赴くままに書きます。 

 

舞台上の流れは、前回書いたので、そちらを参照してください。

v-simple.hatenablog.com

 

舞台上の流れに、「リアル」や「小説」と記載してましたが、これはラストの解釈によって変わってきますよね…。出来事がざっくり過ぎるので、詳細は他の方のレポを見て下さい。(他人任せ)

ラストの解釈

始めに話した通り、オチは人によって捉え方が全然違います。私は2回観劇しましたが、一緒に観た人はみんな違う解釈でした。

 

意見が出たオチの解釈をまとめておきます。

 

1、長谷川は仏になる説

三池は、長谷川の本質か未来を描いた。長谷川は、一時でも自分を取り戻して、あの後仏になる。

 

なんで仏になると思ったの?と聞いたら、「なんかそんな感じがした」とのこと。

 

 

2、長谷川は病気が治る説

三池は、本質や未来の絵を描かなかった。長谷川は、自分を取り戻すことができた。カーテンコールは、舞台のエンディングではなく、舞台の延長線上で、元気になった長谷川と三池と由利で、ジャズバーで仲良く演奏をしている姿を表している。

 

私が初見で抱いた感想。私はハッピーエンド厨なので、どうしても長谷川に救われてほしい気持ちは否めない。

 

病室にて、三池が似顔絵を描いてる時の会話。

由利「お前その絵は…」

三池「黙れ。言葉にすれば、この絵は自由を失う」

 

由利は、冗談めかした感じで言ってたような気がする。「お前、その絵は今までと違うだろ~」みたいな感じ。だから、今まで描いた三池の絵ではないと思うんだよなー。

 

でも文字だけ見ると、今までと同じような絵(おどろおどろしい感じ)を描いて、「お前、その絵は…(長谷川が死ぬことを表してる絵じゃないのか?)」とも取れるんですよね…。

 

長谷川「ああ、これは僕だ」

この最後のセリフで、長谷川は自分を取り戻し、回復に向かう → 完全回復 と解釈しました。 ~Happy end~

 

 

3、舞台『戸惑いの惑星』自体が、長谷川の小説である説

最後の病室のシーンは、まだ夢や小説であり、リアルではない。最初から最後まで、舞台そのものが長谷川が書いた小説である。カーテンコールは、いわば小説のエンディング。

 

井ノ原推し二次オタの友人が、初見で抱いた解釈。

確かに、長谷川が書いた小説である説は、世界の構造を考えると、辻褄が合います。

あの世界を俯瞰で見ると、三池・由利・長谷川が登場人物の『戸惑いの惑星』とG2さん(脚本家)の間に、もう一人いると思えてなりません。

 

三池や由利、長谷川も小説の登場人物に過ぎない。と由利が言って、三池が「信じたくない」と怯えるシーンがありました。

私たちは、生の「舞台」を見ています。3人は登場人物でしかないのに、トニセンという、同じ世界に生きている人間が舞台の導入だったため、このセリフが余計に生々しく感じました。

 

「自分の言葉で話しているけど、決められたストーリーによって喋らされてるだけなのかもしれない」「自分だと思っていたものが、自分じゃないのかもしれない」という、自我が薄くなる恐怖を体験しました。一観客でありながら、長谷川の追体験もしてしまった。

これ、生の「舞台」でやるところが肝ですね。見ているのは、間違いなく舞台と分かってるはずなのに、ものすごく怖かった。ニクイ演出だなぁ。

 

カーテンコールは、舞台のエンディングという話をしてくれた友人との会話。

友人「演奏してた曲は、エンディングテーマなんですよ」

私「小説にエンディングテーマが流れるんですか?テニスの王子様みたいに?

 

テニスの王子様と言えば、漫画の最終回に『Dear Prince〜テニスの王子様達へ〜(作詞:許斐剛)』の歌詞が掲載され、読者に衝撃と笑撃を与えました。まさに、「エンディングが流れる漫画の最終回」です。

 

思わずテニスの王子様の最終回を思い出してしまったけど、実際小説にエンディングテーマが掲載されたら、シュール極まりないです。これはリアルの舞台で観たからこそ、思いついた感想です。

でも『戸惑いの惑星』が、小説として発行されるのであれば、どういう形になるのか気になる…。

 

大千秋楽後に、twitterでたくさんの方が、ラストについて呟いてました。いろいろ見た中で、舞台ループ説はすごく面白かったです。一公演ずつ、舞台をループしてると考えると、確かに辻褄が合いますね。まとめてる方いないかな。

 

坂本昌行さん

やっぱり歌がうまかった。声の伸びが気持ちいい。あと散々言ってるのに、毎回拝見する度に足の長さに驚きます。

トニセンでの注意事項のときの喋り方が、ベリーベリーキュートでした。うんめい・うんせいの言い方が可愛くて可愛くて。なんか子供みたいだった。

 

彼女と運命の出会いをしたシーンになって、途端に輝きを増してました。見るからに、世界一の幸せ者だった。彼女と愛し合ってる三池は、すごくキラキラしてて幸せそうで、愛に生きると素晴らしく輝く人だなぁと実感。

恋愛シーンが顕著でしたが、空気をハッと一瞬で変えることのできる人だと思いました。

 

◆三池の好きなシーン 

謎の空間で、長野くんに顎で使われて、ビビりながらも実行する行動力に、男気を感じた。かっこよかった。

 

 

長野博さん

最初のトニセンの対話で、力いっぱい演じてます!というような演技で、ちょっと浮いてる?と思いました。長野くんの演技って、すごく独特ですよね。間の取り方だったり、セリフ回しやアクセントの付け方とか。

普通の演技では、ちょっと浮いてるように感じてたけど、なにかを説明してるとき、一番自然に思えました。いわゆる、プレゼンが上手い人。

 

謎の空間で、三池と観客が混乱して、得体のしれない恐ろしさを感じ、由利が仮説を立てて持論を話してくれた時、ものすごく安心しました。「この人がいれば、なんとかなるんじゃないか」と。話の内容もそうだけど、話しっぷりに説得力があるんですよね。

 

実際、理論を証明する係は三池で、仮説を立てる係の由利は、実行しなかったのですが、きっぱり俺はやらないと言ってて、男気を感じました。なんでだ。

 

◆由利の好きなシーン

三池を顎で使うシーンと迷いましたが、『不惑』の踊りに一票。

大サビの後、ファイティングポーズとって肘をクイッとやる踊りが、めちゃくちゃかっこよかったです。

 

あと、眼鏡!長野くんの眼鏡姿かっこよかった!!!もっとやって!!

 

 

井ノ原快彦さん 

得体のしれない恐ろしさがありました。

前情報で、イノッチがめちゃくちゃ可愛いらしいと聞いてたけど、私も井ノ原推しの友人も「どこが可愛かったのか分からなかった」と、思ってしまいました。正直、得体が知れなくて怖かったです。

 

井ノ原担のフォロワーさんに話を聞いたところ、「いじらしさはあった」とおっしゃってて、なるほど!と思いました。その発想はなかった。

実際、2回目はそういう視点を持ってみてみたら、確かにいじらしく感じるところもありました。2回目にして、かわいいと言ってる人の気持ちが分かった。

 

パンフレットで坂本さんが「役に自分を近づける人と、役を自分に寄せる人がいる。井ノ原は後者」と言ってました。冒頭のトニセンのシーンは、イノッチそのままなのに、段々イノッチが薄くなっていくような感じは、後者の演技をする人にしか出せない味です。

長谷川のような役は、前者より後者の方が恐ろしく感じるんですよね。井ノ原快彦と長谷川が、ごっちゃになる感じ。儚げで今にも消えそうなのに、恐ろしかったです。

 

この舞台において、長谷川以上に、千差万別な感想や感情を抱かせる人はいないと思います。180度違う感想を抱けるのも、井ノ原さんの自然な演技がそうさせてるのかもしれません。

 

◆長谷川の好きなシーン

長谷川の小説(回想)の長谷川のシーンは、全部好き。初見と二回目では、長谷川に対する私の見方が変わるから、違う感情を抱ける。

 

一番考えた運命論まで書けなかった。

 

もうちょっと続くんじゃよ。

TTT『戸惑いの惑星』 運命は、自分の選択によってつくられている